2000年05月15日

宗教とは

(2000年以前の文章)

<宗教の構造>
基礎として1共通道徳、人間としての理想
その上に 2地域・文化道徳と、そこに生きる人間としての理想
さらに  3現象説明(上の地域・文化道徳に関連)
その上に 4具現化・カリスマ化された象徴(基礎から現象説明までの正論化)
さらに表面には 5後世の改作された真理「共通道徳」
とは、全ての人類に共通する倫理を叫ぶ部分、どの宗教においても
みられる不文律を規定する部分。象徴によって再確認される。

「地域・文化道徳とそこに生きる人間としての理想」
上記と重なるが、文化地域の影響により変化した部分、基本は同じ

「現象説明」
アダムとイヴとかに代表される理解されなかった事実の説明、
(象徴に対し神秘性を付加する)
現代においては、科学によってとって替わられている部分、
本来は無視するのが望ましい(個人的には)

「具現化・カリスマ化された象徴」
上記全てを”正しい”と認定する裁定者。独裁者にも当てはまる、
上記の理念を独善的に肯定させる。

「後世の改作された真理」
これは簡単、聖像崇拝論争とか、教会教皇制、皇帝教皇制。
そしてカリフ制、スルタン・カリフ制。

どれもこれも都合のいいように改作されてきた
解釈されてきたものだとおもう。

<現代の宗教として>
宗教がその真の目的を達するのは、1、2、そして「限定された4」だけを機能させたとき以外にはもはやありえないと思う。

注#「限定された4」
それは盲目的であってはならない、それは集団であってはならない、普遍的真理(1、2)を肯定する際、現社会と比較に走りがちな自分を押しとどめ、その道に歩ませる力として、あるべきであると思う。

<宗教の違い>
それは仏教であれ、キリスト教であれイスラム教であれ、どうでもいい、1、2、4の中で、1は共通、4はほぼ同じ、替わるのは、
2だけとみることもできる。それはたんなる地域と文化の違いに過ぎない、特殊な宗教もあるが、それは世界宗教とはならないから議論としない。

すべての宗教はこれらの要素の集合体である。

カルトと呼ばれる宗教は、社会に共有される価値観、すなわち1,2が非常に少ない傾向にある。逆に創出しやすい4に非常に重きを置く傾向がありそして多くの宗教の現象説明を融合させて独特の世界観を構築している傾向がある。
後世の改作された心理、カルト宗教においては改作された心理、すなわち独特の意味解釈に基づく歴史、教義解釈が見られる。それは集団内部においてのみ流通する傾向があるが、しかしその独特の意味解釈は既存宗教の教義と現実社会との間に生まれたギャップをうまく説明するものであることがよくある。
カルト宗教においては、4具現化・カリスマ化された象徴、すなわち1,2,3までを正論化するファンクションが、時として終末思想に取って代わられることがある。終わりが来るという非常に強いインパクトによって、それまでの体制を否定する力を創出するのである。

世界宗教は、逆にその教義の持つ独自性が、その地域や集団の道徳となっている。カルトといわれていた時代はそのカルト集団の持つ独特の文化は他の集団には共有されていなかったが、世界宗教においては、そのカルト集団のもっていた独特の文化がその集団全体に根付き、それが強い力を持って社会に根をおろしている。
世界宗教は、当初圧倒的カリスマや力によって正当化された道徳や価値観が、社会に世代を超えて埋め込まれることによって成立する。地域や、集団の価値観がその宗教の教義と同一化していくことによって、世界宗教はさらに大きな力を持つようになる。それは疑問と提示することができない集団の共有知識としてのプレゼンスを築くのである。
ある一定レベルを超えたとき、宗教は時の権力によって利用されるようになる。時の権力は手段の常識や慣習に別の常識を埋め込もうとする。そして後世の改作された真理が大きくその宗教の教義に影響を与えるようになる。それは宗教教義の持つ元来の意味とはかけ離れているものである場合もある。時の宗教上の指導者の個人的な趣向である場合もある。
いずれにせよ、宗教というものはそのまわりにある規則や道徳とのバランスを図りながら、システムとして社会に根差している。そしてそのシステムと規則とのバランスが崩れたとき、もしくは構成員の少なくない人々に、崩れていると認知されたとき、新たなバランスを作り上げるために、1,2,3の要素の少ないカルト宗教が生まれ、新たな役割を担うようになる。
posted by Cotton at 22:22 | Comment(0) | TrackBack(2) | 学問(studies) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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