2003年01月28日

フリート(その1)

(フィクションです。。)

ある朝起きたら、旅に出たくなった。
昨日はいつもとおなじ昨日だった。今日も同じ日が続くと思っていた。
 だけど今日は旅に出たくなった。悲しみが原因ではなかった。ただ無性に旅に出たくなった。とりあえず思った。

「リセットボタンを押そう」

そう思い始めた自分が、いつの間にこ四畳間にいた。いつもそんなことを考えていたはずだった。小学生のときはテレビゲームで押しまくったあのリセットキー。嫌なことやら予想外なこと。そんなことはまっぴらだった。
まだ世の中が小さかった頃。いつでも人生はやり直すことができたんだ。主人公は絶対に死ななかった。死んだ事実は消し去られた。主人公は絶対に失敗などしなかった。失敗したらやり直した。いつでも楽しく過ごしていたんだ。

中学生になった。ちょっと大人になった気分がした。人生と言うものに付いて考えてみたり、三つ前の席のあの子のことを思ったりした。社会科の教科書の色分けされた世界地図を眺めては、いつか世界を征服してやる。なんておもったりもしたものだった。
授業はつまらなかった。友達も多くはなかった。だけど自分は幸せだった。考えることはなかった。今をおう歌していた。将来なんて考えたこともなかった。それが僕らだった。なにかを言い出すやつはいた。何かを成し遂げるなんてほらを吹くやつも何人もいた。だけどそれは僕ではなかった。

その頃から、現実は僕達にのしかかってきた。先生たちは僕達には分からない現実を教えはじめた。理不尽な何かは決定事項のように僕達に伝えられた。人を愛すると言うこと、罪を犯してはいけないと言うこと、車は左側を走らなければいけないこと。いろいろな知識が、僕達を大人にしていった。
僕達はいろいろなことを学んだ。目上の人には敬意を払え。日本は戦争でひどいことをした。男と女は結婚する。大学には入った方がいい。北朝鮮は危ないらしい。ヴィトンとシャネルは高級品だ。
ありとあらゆる知識が、僕達に与えられた。
僕らはそれに反論なんて出来なかった。そんなことは思いもしなかった。世界は正しいと思っていた。遠い異国の出来事は、今の日常の隠し味みたいなものだと思っていた。リアリティは悲しみを持っていた。教えられる全ては、僕らの中に無批判に受け入れられた。だけどそれらは、僕になんのアクションも起こさなかった。

そんな知識を貯えて、僕は高校生になった。なまじ勉強ができなかったものだから、先生にはいつもおこられていた。運動も今一つだった。順位をつけられるのがどんどん嫌いになっていった。
受験戦争、そんなものに興味は感じなかった。放課後の貴重な時間を費やす部活っていうやつも、なんであんなに熱中できるのか分からなかった。友人たちは彼女を作りたくて必死になっていた。あるやつはバイクにのめり込んで学校に顔も出さなかった。
過ぎ行く時間の中で自分は、いつの間にかラインを外れはじめていることを薄々だが感じ始めていた。
ラインを外れていること、その事実を、やっと僕は自分を社会的に見つめることができるようになっていた。社会には階層があって、どう頑張っても出来ないことがたくさんある。自分には想像もつかない生活を送っている人間がいる。
何のアクションも起こせない世界が、僕の前には広がっていた。小さい頃から立ちはだかっていた社会は、僕の牙を抜き、刺を抜き、毒を中和し、色を塗り替えていった。僕と言う生き物はそれに同意するしかなかった。

大学受験はしなかった。専門学校に行くこともやめた。親や先生はおこっていたが、別にいいじゃんとたかをくくっていた。とりあえず親を説得したのは、「家計を助けるために働きに出る」「俺には夢がある。だから大学には行かない」なんて今思うと笑っちゃう理由だった。
今の状況を変えてしまいたかった。なあなあとこのまま生きていくのは違うと思った。苦手で嫌なことをなんでやらなけりゃいけないのか、全く納得できなかったし、説明しようとしたやつもいなかった。

四畳半は安かった。月2万円の我が家は、三鷹の駅から4分の所に立っていた。築30年の我が家は、トイレも何もないところだったが、二階の窓からはどぶ川と住宅街の屋根が、180度永延と続いていた。とりあえず就職しようにも、このご時世どこも雇ってくれなかった。バブル崩壊で景気はどん底、地方からきた成績の悪い浮浪者に、そうそう仕事なんて転がっているものではなかった。

求人広告をあさってみても、どこもかしくも「経験者募集」。高校時代にアルバイトしておけば良かった。そう悔やんでももう遅いのだった。親にはほとんど怒鳴られることもなかったし、月の小遣い2万円は、ほとんど使うこともなく銀行に消えていったのだから、世間知らずも限度がない。家に帰ればご飯がある生活と、洗濯物が乾いてたたたんである生活が、こんなにも貴重なものだったのなんて、考えることもなかった。

道路工事のバイトに申し込んでみた。一日1万2000円のバイトは、超割にいいとおもった。「二日で家賃稼げるじゃん」30日働けば月給36万円!?
なんて甘く行くわけがなかった。帰宅部の僕にそんな体力があるわけなかった。必死でやったのに三日で首になった。そんなんなら採用するなといってみても、負け犬の遠吠え、殴られて終わりだった。
ファミレスの面接にいった。うまく話せなかった。すごく考えてしまった。自分の特技って何だろう。何がアピールできるんだろう。学校生活で学んだことって何だろう。将来何になりたいんだろう。
試験官から発せられる質問の一つ一つが、苦痛に満ちた疑問符を僕の胸に投げかけた。
仕事はいつも長くは続かなかった。お金も長くは続かなかった。いつ間にか自分は、機械のように光のタクトを振り回したり、誰もいないビルの中を歩いたり、スターウォーズのロボットみたいな動きで、皿を片付けていく作業に、何の抵抗も、何の憤りも、何の嘆きも、何の悲しみも感じなくなってしまっていった。日常が逆転し、感情はあやふやになり、寝て起きて、そして仕事をする。そんな安定にある種の幸せを感じていたのかもしれなかった。

友人からの電話が堪えた。楽しくやってるか?彼女ができたんだ。大学のサークルで合宿なんだ。今度引っ越したマンションからの眺めがいいんだ。こんど遊びにこいよ。飲みにいこうぜ。旅行にも行こうな。そんなことを言われても、今はもう何も感じることはなくなってしまった。僕の目の前に広がるのは5M道路、だれもいないビル、あわでいっぱいになったなシンク。テレビとビデオとティッシュペーパー、使い古したやかんにおはし。

高校を卒業してからの一年間、現実は僕に箱庭を提供してくれた。
ニュースで知るのは壊れた車、かわいそうな一軒家、世の中を背負っていると念われる政治家、どこ開国のかわいそうな人たち。殴りつけたくなるような「愛してる」。縛り付けたくなるような「信じてる」そんな風景を窓の中に眺めつつ、遮蔽された空間で時間を使っていく生活。
現実は僕に何も提供してくれないかのようにおもっていたけど、日常は僕に日課を提供してくれた。やっとこさ手に入れた日常、今の僕の全て、守るべき者たち。
夕方起きる、着替える、気が向けばテレビを見る、気が向かなければぼーっとする。バイトの時間が来る。自転車に乗る。一時間漕ぐ、
思考を止めて、6時間、すました顔で、ロジックボードは動き出す。
「ながれたぞ」、なら横に振る。
「とまったぞ」、そして横に持つ。
「困ったぞ」、チーフに無線。
何かを考えているはずなのに、考えていたことは流れていく。
何を考えているのか、自分で分からない。飯のことだったり、今までの人生だったり、昨日のニュースだったり、むかつく運転手のことかもしれないし、都会の夜に、ちらっと見えるくらい星のことかもしれない。
時計を見てはいけない。だけど時間のことを考える。720円を60で割ると120円。を60で割ると2円。あれ違う。720円を60で割ると12円、一分で12円。けっこうなもんだな。たばこ一本吸うにはたばこ一本分立ってればいいんだな。ってことは人生の半分たばこすっててもだいじょうぶってことか?というかそれは違うなぁなんて考えてみる。。。
3時間はすぐ過ぎる。だけどあと1時間は疲れてくる。一分一分が不思議な感情に満ちてくることもある。もうすぐ終わる。もうすぐ終わる。足が疲れた、もう歩けない。だけどもうすぐ終わる。
あぁ、やなかんじ、微妙な感じ、だけどもうすぐ終わる。あと30分で終わる。そんなに我慢しなくてもいいよ。あと30分でおわる。
そして終わる。僕は4320円を手に入れる。この時間を五回くりかえすと、来月も我が家に過ごすことができる。この時間をあと五回繰り返すと、贅沢な食生活を来月も過ごすことができる。
そう考えるとどんな作業も悲しくはないと、ぼくはおもっていたんだ。

まだ夜も明けない頃、僕は帰る。また一時間くらい夜道を漕ぐ。ふらふらしながらふらふら進む。世の中の切り出されたこのトンネルの中を、僕は日常から日常を移ろい歩く。

今日は弁当を買う。焼き肉弁当で幸せな気分になる。とてもおいしそうな焼き肉弁当が僕を幸せにしていく。今日もありつくことができる。明日もありつくことができる。よくわからないけど自分はまだ生きている。ご飯を食べている。
食べる。そして寝る。着替えとかめんどくさくなる。というか疲れている。だれにみせるわけでもないからねる。明日は休みだと幸せになる。

明日っていっても、明るくないんだよ。深夜の二時くらいなんだ。寝坊しちゃった。なんて罪悪感を感じつつ洗濯をしにいくことにした。三日にいっぺんは洗濯をする。自転車で30分のコインランドリー一回200円で洗えるっていうのはすごい。ゴォンゴォンゴォン、かっこいいなぁ。すごい機械。ごぉんごぉんゴオオン。がららららんご〜〜〜ん。そんな音が心地よい。
コンビニで漫画を買う。僕は旅に出る。知らない世界に旅に出る。箱庭からのぞく別の世界。夢とファンタジーと空想の世界。時間と言う制約は僕を解き放つ。人間と言う制約も、僕を解き放つ。どんなやつにだってなれる。230円でどんなやつにでもなれるのはすごいことだとおもう。だけど、リアルじゃない。そんなことがあったらいいけど、あるわけはない。あるわけないじゃん。常識的に言って、あるわけはないあるわけはない。だけど信じたい。
意味分からなくなっていると、ごおぉおんって音が消える。中から白くなってきたシャツとズボンをとりだして、ねずみのようにトンネルを走る。
家とコンビニと弁当屋と、仕事先と、、いくつかのパチンコ屋をつなぐ高速道路。
僕は愛車にまたがって今日も夜道を進む。涼しい春の夜は、僕が一番好きな時間。

コンビニによってビールを飲む。家に帰って寝転んでみる。天井にはいつものように光るわっかがある。耳を澄ませばジ〜〜〜なんて音がしたり、僕をひき殺しそうになる車の音がある。
ただ、箱庭に生きている僕は、箱庭が嫌になったりもする。何かを成し遂げたいと、心の底ではまだ思っている。
いきなりふりかかった現実は、そんな僕を否定しようとした。夢や希望があったはずなのに、日々の現実はそんなことは否定して、僕の思考を奪い去っていく。プライドの固まりだった自分は、がたがたにされて世の中に組み込まれていく。
自分は何者かになれるはずだった。何者かになれると思っていた。自分の可能性は無限大だなんて言葉を信じていたりもした。だけどいつの間にか、僕は社会の中に取り込まれていた。

2

「おい、鏑木。お前日曜入れるか。高木が休みたいっていってるからお前かわりに入ってくれよ」
店長はいつものように僕は都合のいいように使う。
「うぃーす」
ぼくはいつものように受け流す。
「いつもわるいな〜。お前みたいなやつがいてたすかるよ〜」
もはや安堵も感じられない笑顔の中で形だけの感謝を店長はあらわす。
「いえいえ、仕事楽しいっスから」
僕は社交辞令を終え、また商品棚の賞味期限をチェックしはじめていた。

ふと、こんなやり取りについて思う。
今一緒に入っている由貴ちゃんなら
「え〜店長無理ですよ。日曜日は神様が休めって決めた日ですよ〜」
後輩の松下なら
「すいません!日曜はサッカークラブの試合はいってて無理なんです。」
とまぁ彼等なりの理由を見つけて断ってしまうのだろうと思う。
由貴ちゃんは月水木
松下は月火土
きちんと「バイトの時間」が決まっていて、「ほかの時間」が大切になるのだと思う。

僕はというとコンビニの時間と交通整理の時間と寝る時間とパチンコの時間が交互にやってきているのであって、どれが大切どれが二番目なんてあるわけがない。どちらかというと大切なのは頭の中で考えることだったり、人を観察することだったり、あんまり人と接したり活動したりと言うことが大切だと思わない系統の人間だったりする。

ぼくが愛想がいいのは、
「いらっしゃいませ〜」
仕事は仕事で割り切ってしまう。
「120円が一点、240円が二点、100円が3点、」
人当たりと社交辞令だけは自信がある。
「合計で1008円になります」
こんなおばさんにもいつも笑顔で
「ちょうどお預かりいたします。ありがとうございました〜。」

なんて言えている今くらいなものなのかもしれない。むしろぼくは愛想とか社交辞令とか必要性を感じない。なんで人に愛想良くふり舞わなくちゃいけないのかさっぱりわからない。今は仕事だから割り切って言える。「笑顔を絶やさず元気良く。」だけど一般生活において人に笑顔で接しなくちゃいけない理由なんてわからないし、ぼくは必要もないと思う。
飲み会とかクラス会とかそういうところで「あははは」とかいつも嫌なやつにも笑っていられる奴らの気が知れない。なんでそんなにだれにでも笑っていられるのかさっぱりわからない。
まぁ、それは別にいいことなのだけど、少なくとも僕とは違う世界の人たちが多いって事実はあるみたいなのはたしかだ。そのくらいはぼくも分かってる。

しかしこのコンビニの仕事と言うのは、結構疲れる。やることはたくさんあるし、うちの店は結構これで売り上げあがってる方だから、来店が深夜でも結構ある。しかも結構ある時に限ってある。変に幹線沿いにたってるもんだからぼくの担当している時間帯でも結構人が入ってくる。
それにもかかわらず廃棄チェックとか入ってくるもんだから、かなり嫌になってくる。
立ち仕事は辛い、というかぼくの仕事は全部立ち仕事、机に座ってなんたらみたいな仕事はちょっと縁遠い世界になってしまっている。

「あっ鏑木さん、きましたよ。」
由貴ちゃんが目線を送った先には、例の青年がいる。どう言うわけか一週間に二三回、深夜帯にカップ麺とエロ本を買いにくる。いつもそれしか買わない。なんか眼鏡をかけてガリ勉っぽいのだが、そんなに頭良く見えそうにないよくあるタイプの子だ。
まぁ勉強に打ち込めるだけぼくよりはまっとうなやつなんだろうが、その商品を何に使うのか想像するだけで、ちょっとした優越感を感じてしまったりする。「またたまってんのかな?」みたいな。
そんなん風俗でもいけばいいのになんて感じるぼくはスレすぎなんだと思うが、彼の心境はいたいほど分かるからいつも僕がレジに立ってあげている。
「なんか今日は特に落ち込んでたな」
ふらっと由貴ちゃんに言うと、
「いつも落ち込んでますよ〜」
と彼女は冷徹な言葉を非常に楽しみながら浴びせる。

やっぱり苦手だ。こう言う子はかなり苦手だ。まぁ基本人当たりがいいから同じバイトの間柄なら何もぼくにはいってこないし、知らなければぼくは幸福だからこの子はこの子でいいと思ってる。
ただかわいそうなのはたかがコンビニの店員に私生活暴露されているさっきの青年みたいな人たちだ。そう、コンビニは結構生活密着というだけあって、「常連客」みたいなものが存在する。生活パターンなんていつもみんな変わらないから結構何か月も同じ時間帯に入ってるとほとんど毎日通ってくる人を覚えてしまう。

毎晩納豆とビールとカップラーメンを買っていくスーツでびしっと決めた中年男性。(超かっこいい)
朝昼晩と缶酎ハイを4本づつ買っていく暗そうな若い奥さん(アル中?)
月に一度は男物のおとまりセット一式を買いにくる、大人しそうな女子大学生

いろいろな人々がこのコンビニの回りには住んでいる。いろいろな人が時折時折訪れる。
そんな人生を眺めながら、ぼくは今日も時間がたつのを待っている。さっき忙しいといったけど、なれてしまえば頭は暇、ぼーと何も考えずに時間を過ごすことができる。そんなにつまらないわけじゃない、変な客はたくさん来るし、絶対にこの先もこれからも自分は経験しないだろう経験をしている人と遭遇することができる。

だけどふと考えてみる。自分もきっとこんなふうに言われているのだろう。夜明けのコンビニ、いつも焼き肉弁当を買う僕はなんていう名前なんだろう。僕もバックルームの監視カメラで
「またきたよあの薄汚いフリーター」
っていわれているのだろうか?それとも
「焼き肉マン」
なんてかわいいあだ名があるのだろうか。
そう考えるとなんて失礼なことをしているのだろうかなんて考えてもみる。

疲れた。
「こんなはずじゃなかった!」
そんな青春ドラマみたいなせりふは僕には言えない。守るべき日常と、まだ信じている夢。生きて行けている現実。社会に生かされている現実。脅かされる不安。
変えることなんか出来るわけがない。今は今で十分だと思う。
そう思って日々を生きている。

 楽しいと言えば楽しい。僕らにはテレビもゲームも社交場もある。おいしいものも食べれる。
そう強がってみる。
 夢を叶え始めている同級生は、社会に縛られ始めていると主張する。自分の存在意義は次第に他者を否定することから生まれるようになり、自分自身の存在は他者に依存するようになっていったということは、私の頭の中からは生まれようも無い事実であった。
posted by Cotton at 22:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 文学(composition) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。