現実的に明日をどう生きると言うことであった。太古の昔、我々の祖先は明日や明後日や、自分の将来についてに忙殺され、現実を超えた世界をはかろうとすることは難しかった。
しかしいつしか、詩人が生まれた。
余剰生産が生み出した自由な意識は、日々の生活に縛られない自由な精神から生まれたものでもある。私がおもうに世界というものを知ろうとする感覚は、自分の生というものへの執着がすくないものに多くあるように気がする。自分の生を超えた物に対する関心、それは魂の自由から生まれる。
いつの日か、だれもが詩人になれる時が来るのかもしれない。そんな世の中が来たとき、世界はどうなるのだろうか。生産は人の手を離れ、全ての人が自らの生に縛られることがなく、全てを思い、全てを知ろうと努力する。そんな世の中が来たとき、世界はどんな形をしているのだろうか。
その時、世界は肯定されるのだろうか。
だれもが世界を思うとき、世界はどんな姿になるのだろうか。矛盾だらけといわれる世界は、はたして人々の精神を充足できるのだろうか。この世界は、そのような自由な心を持つ人たちを許容することができるのだろうか。
案外世界の終わりは、
静かな姿をしているのかもしれない。
【文学(composition)の最新記事】

