2003年11月29日

終わりの夢

 自分の終わりの夢をみることがある。これまで私は、自分の終わりのリアルな夢を何度か見たことがある。例えば、ベトナム戦争で銃に撃たれて死ぬ自分。ぼこぼこに殴り殺されて死ぬ自分、長い人生の終着地点として病院のベットで死ぬ自分。観光地の崖で転落する自分。そして今日はなぜか、兄貴の運転する車の事故で死ぬ自分。などである。
 どの終わりにおいても、苦しみの先に安らかな瞬間がある。私の終わりのイメージは、鮮烈に夢の中に感覚的に、そして知覚的にいつも表現されている。圧倒的な苦しみがまずある。そしてそれが消えていくのが分かる。そしていつしか、その苦しみについて考えている自分自身のイメージがぼやけてくる。さらにはぼやけているのを知覚していく自分も消えていく。イメージと近くは徐々に弱まり、いつしか暗闇と沈黙が流れる。

 私には兄はいない。ましてやベトナム戦争に従軍したことなどあるわけがない。人生の終着地点を病院で迎える可能性はあるが、しかしまだ長期入院を経験したことはない。ぼこぼこにされたこともなければ、スカイダイビングを経験したこともない。しかし、私は夢の中でそれをリアルに経験し、それらの文脈はいつのときも確たる、説得力のある文脈である。全ての設定が詳かに自分の人生として私の中にインプットされており、その中の登場人物たる自分はそれがあたかも当然かのごとくその世界の住人となって死に直面する。

 その中にいる自分は死に至る自分を意識することはない。例えば、ベトナム戦争の自分は自分が撃たれる恐怖こそあれ、しかし絶対に生還すると確信していた。病院で死を迎える自分は、死という自分にとってあやふやな概念から抜け出すことに必死で、それを考えることを拒否しようとしていた。そして自分は助かる、と信じていた。

 しかし、突如として変化の瞬間がある。圧倒的な危機であったり、自分の体の中に現れる変化である。それは瞬間的な予感であったり、しかしもう少し長い予感であったりもする。自分が死ぬ「かもしれない」と感じるプロセスである。その後次第に、私はある一定のタイミングから終わりの瞬間を強烈に意識するようになる。死の可能性が自分の意識の中で圧倒的な流量で湧き上がり、自分の感覚を恐怖で満たしていくようになる。

 その圧倒的な恐怖が支配し始めるとき、それは多くの場合手遅れである場合が多い。見えないプロセスは終わり、見える、死にいたるプロセスの中に自分は放り込まれる。ほとんどの確立で自分は死ぬ。死ぬという現実が近すぎる状況にある。突如として自分の中で死という現実が圧倒的な従量を持って自己存在にのし掛かってくる。圧倒的な恐怖と、逃れようのない現実の鎖が、私を縛り付ける。次第に力を失っていく拳、迫り来る壁、逃れようのない現実を知覚し、それはある瞬間を超える。

死の確定、である。

 自らの死が確定した瞬間、それは恐怖ではなくなる。泣き叫び、死にたくないと思える時間は、まだ死から逃れ得るプロセス上にある。それが進行し、そしてある瞬間から、自分はもはや逃れることが出来ない死へのプロセスに乗ったことを知覚する。それは、長く短い死のプロセスである。此処にいたって、もはやどのような救いも自らの生を救うことは出来なくなる。その瞬間に何が起ころうと、「もはや手遅れ」であることが知覚出来るプロセスである。

自分は死んだ、ということを意識する瞬間。

 その長く短い死のプロセスにあるのは、もはや走馬燈ではない。意識はもはや自分が死んでいくことしか知覚することは出来ない。そして、自分が死んでいくことを知覚している自分もぼやけていくのがわかる。そしてその短く長いプロセスの後、短い漆黒と意識の断絶があり、私は目覚めるのである。


 その物語の中の自分は確かに死んだ。確証を持って死んでいる。しかしなぜか私は、その物語の中の自分を客観的に見れる立場の自分として再臨する。それが夢であったと知覚する。夢であるにはあまりにもリアルな特別な夢であり、私はしばし驚愕と混乱に陥れられる。
 死から逃げようと必死であってもそれに対して行動を起こすことが出来ない自分、死という圧倒的現実を否定し、自分だけは何とかすると考えている自分、死などというものがあることすらも意識せず生活している自分、死というものが「現実からの逃避」という位置付けでしかないのにもかかわらず、自分を死に至らしめようとする自分。

 それら全ては、圧倒的に死の可能性が支配しはじめる瞬間、本能的な恐怖にさらされる。
 それら全ては、死の確定のプロセスに乗った瞬間、同じ感覚に支配される。

 私は私の個々の夢の中において、まったく違う境遇と環境にいたのにもかかわらず、その死の最後の瞬間において感じるものは共通であった。死のプロセスの最初まだ可能性がある時、そこにおいては本能的な恐怖と自分の経験と思想が混在する個性的な死の場面であるが、しかし死の確定のプロセスに入りはじめるときから、次第に全ての感覚は共通しはじめていく。
 全てのプロセスに明確な区切りはなく、またそれが時計で何秒とか、何分とか決めれるものでもない。もちろん何秒などとはかれるような状況ではなく、思考だけが自分を支配する状況となる。すべてがあまりにリアルである。その生活もそうでありながら、その最後の瞬間もつまり死の具体的イメージにいたっても、あまりにリアルである。とても自分の脳内において構成されたストーリーと感覚とはとても思えない。少なくとも自分は、このような感覚を自分の人生において味わったことは一度もない。
 しかし、たしかに私の夢の中に、これらの感覚と具体的イメージは存在し、その感覚は今も私の記憶の中に焼き付いて離れることはない。私は死というものをたしかに経験し、そしてその死のプロセスが突然やってくるということを漠然とだが感じることが出来る。

 夢の中において、私はいくつもの人生と、その突如とした終わりを経験した。そしてこれからもするとおもう。全ての人生においての文脈は、ある瞬間に終わりを迎え、それから先の物語はない。その物語の記憶は、私の中に確かに存在するが、ある特定の社会の中において特定の立場で特定の思想を持ち特定の環境で生活をしていたその個人は、もはや一生現れることはない。

 この夢が何を示すのかは分からない。終わりの夢が私に何を示すのかはまったく見当もつかない。しかしこれらがあまりにもリアルな体験として自分に降り注いでくるために、私は自分の生というものに感謝するに至るのである。
 どのような状況において生きる者も最後の瞬間は訪れる。そしてそのプロセスに乗った瞬間に、それは逃れることは出来ないことが多い。しかし、人は日常生活を送る中においては、死という圧倒的現実を否定して生きている。
 この世に生きる人は全て、生きているために、死という現実はすみに存在する事にとどまる。死というものが現実に意識されるようになった瞬間に、しかし人は考えるようになる。しかも、その死というものが現実に意識されるようになった瞬間、それがダイレクトに死に直結するものであったりする。交通事故など典型であろう。次第に死んでいく自分ではなく、次の瞬間かなりの確立で死ぬ自分になってはじめてかんがえることをはじめるのである。

 死という現実を意識して死ねると言うことは幸せである。しかしいつ自分が死ぬかは本当に分からない。人口動態調査によると、年間4万人が不慮の事故で亡くなっている。老衰はわずか2万人であるにもかかわらず、日本全体では一年間に90万人ちかくが亡くなっている。始まりがあり、そして我々がいる。我々があり、そして終わりがある。終わりの瞬間がいつ来るかは分からない。しかし、終わりの瞬間に誇りを持って死ねるように、日々生きて行ければと思う。

posted by Cotton at 00:15 | Comment(6) | TrackBack(2) | 文学(composition) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こっとんのblogを発見。もう一個の方は読んでいたのだが。

濃い。濃すぎるぞ。
まるで液体ではないようだ。
ただの屍のようだ。
Posted by yoneda at 2003年11月29日 01:41
ウケル(笑)
もう独走。書き殴りですよ。どろどろどろどろ。
自分の考えていることを書き殴るからストレス発散に良い感じ。
一日30分から1時間かかってるけど、ネタがあって余裕のあるときにはまったり書き続けようと思うよ。(と、書くと仕事をしろというつっこみが入る危険性)
それにしても1時間かぁ、これで700人の人が見てくれて、一人一円はらってくれたら元が取れるんだけどねぇ(爆)
Posted by cotton at 2003年11月29日 11:54
こっとんは時給700円の男だったのか!
Posted by yoneda at 2003年12月02日 08:30
もうすぐ時給500円をきるかもね(爆)
Posted by cotton at 2003年12月08日 08:12
私は時給900円ですよ。(笑)
面白い夢だね。私は最近逃げる夢とか多いかも。(苦笑)
今度まったり飲みたいなぁー。いつかのお礼も含め、ってか
まだもう一回お願いしたいのよねぇ・・・・。(うふ。)
Posted by tommy at 2003年12月18日 02:57
もう一回っすか。
今度はタスク落ちの危険有り。
むしろ自分が落としそうな予感(鬱)

あ、てかおねぇさんおみやげわたさんと。
Posted by cotton at 2003年12月18日 21:07
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