2004年01月08日

コインシャワー、その有り難さを想う。

不思議な看板を目にした。「コインシャワー」
それはいかなるものなのか、とりあえず利用してみることにした。


 なんかこう、私には不思議な感覚があった。シャワーというと、海の家にあるやつを思い浮かべるのだが、コインランドリーにコインシャワー。と書いてあると、「なんだそれは??」とユニットバスのついているアパートに住んでいる私は多生混乱する。自分の中のスタンダードからはその存在の価値がよく理解出来ないからである。家にシャワーもトイレもあることが常識となっている私の頭の中では、コインシャワーというものの存在は、魔加不思議な存在と捉えられたのである。

 これは自慢だが、私の家には洗濯機も風呂もある。だから普段はコインシャワーを使う必要はない。コインランドリーも基本的には使わないし、銭湯も特別なときにしか行かない。いつもは家でほとんどのことは済んでしまう。高価な洗濯機を購入するという無駄を決断したし、自分しか使わない高コストで贅沢なユニットバスを使うことも決断した。私を含め、今の学生は風呂が付いている。トイレが自分専用である。洗濯機を置く場所がある。という事実を、まるで最低限度のスタンダードのように捉えている。エアコンは都内で有れば80%以上の大学生の家には付いていると思うし、トイレが別の所に住んでいる大学生もそんなにはいないだろう。

 だから、少し前までは、トイレは共同で、そして風呂は銭湯で、家は4畳半のアパートが基本であったという事実は、私を含め多くの学生はほとんど意識することがないし、そんな中では生きられないのではないかなどという不安すら持つのである。しかし、昔は風呂やトイレというコストのかかるものを占有することなど出来るはずはなく、それは借りるものであった。少なくとも、多くの学生は洗濯機を買うことはしなかったし、銭湯を恒常的に利用していた。

 「神田川」という有名な歌がある。4畳半に同棲する恋人同士。銭湯のお風呂に行く。という歌である。窓の下には神田川。石けんがかたかたなる。そこに描かれている世界は、多分その当時のスタンダードな若者の光景であると思うが、しかし今の大学生のスタンダードからすると、あまりにもかけ離れている。しかし、それはその当時当たり前であった光景であり、それこそがスタンダードであった。そもそも私が、「コインシャワー」というものの存在に驚いていること自体が、失礼極まりないことなのかも知れない。実際、自分が写真を撮っていると隣でおじさんが使い始めて、非常に自分が無礼なことをしているのではないかと反省したのである。

 いつのまにか、自宅にシャワー、さらにいえばお風呂とトイレがついていることはスタンダードとなった。かなり多くの人が、その自然になれ親しみ、ありがたみを感じることがない。よく昔、水道から水が出てくることを不思議に思ったものだが、しかし今の私たちの生活では、水道から温かいお湯が瞬時に出てくることはもはや認識外の常識であり、驚きも喜びも全くない場合が多い。家に電気が通っている。その事実はまったくもって驚くに値しないし、電灯があるという贅沢な事実も、もはや意識されることもない常識である。

 私はもう知らない世代だが、家に電灯が来たことが感動であった時代があり、家に自分用の風呂とトイレがあるということがステータスの象徴であった時代があった。しかし、それがあまりに世の中に流布すると、それはもはや空気のような存在となり、差別化とはならない。感謝感動するべき事実であるはずなのに、自分の周りにおいては当たり前とされていることから、我々はいつしか贅沢になる。贅沢になった我々は、また新たなスタンダードを追い求める。三種の神器から3C、新3Cへ。そしてものからサービスへ。飽くなき人間の欲求は、様々なものを創り出し、それを普及させ、普及させることによりその欲求を消化し、そしてまた進んでいく。それは個人においてもそうである。いつしか幸せは幸せと意識されなくなる。そして新たな幸せを追い求め、足下の幸せが見えなくなる。

人は不幸せな生き物なのかも知れない。
なぜなら幸せである状況に満足出来ないからである。

 エアコン、バイク、車、年1回の海外旅行、異性と気軽に遊び、映画を見る。物質的に満たされるがしかし今度は「夢の実現」を追い求めはじめる。もはやシャワーどころか海外に行けることも標準となった。その影で、時代に必要とされなくきたものは消えていく。例えば「コインシャワー」それは消えていく運命なのだろうか。

 熱いシャワーを浴びながら、そんなことを考えていた。7分間の幸せな時間の中で、しかしその幸せな時間に幸せを感じることが出来なくなっていた自分を呪った。飽くなき探求心と向上心の中で、見失ってはいけないものを見た気がした。

貴方も、見かけたら使ってみて欲しい。
これはこれでなかなか快適なのだ。
posted by Cotton at 00:45 | Comment(5) | TrackBack(0) | 携帯(mobile) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
SFC生的に残留あとの、大学院塔でのシャワーは格別です。お金が無い人向けというよりも意外と徹夜明けで家に帰ってない人にニーズがありそうな気がした。
Posted by Masasa at 2004年01月13日 18:53
 それもあるだろうなぁ。。今これが機能しているのは徹夜明けで家に帰れない人が新しくお客さんととして登場してきたからなんだろうなぁ。
 シャワー格別。たしかに。。体育のあとも格別ですな
Posted by cotton at 2004年01月15日 22:41
俺みたいにジプシー生活が多い人にとってはコインシャワーや銭湯は貴重な存在だよ。
Posted by etokazu at 2004年01月24日 05:46
なるほど。しかしあれだね、最低限のお金さえあれば家なき子でも快適に生きていけそうだね。地下道はそんなに寒くないし、シャワーも浴びれるし、コンビには廃棄弁当大量だし。
Posted by cotton at 2004年01月25日 14:08
世田谷にもコインシャワーを付けて!
 千歳烏山の辺りがいい。  あの辺はコインシャワーが
 全くないから不便だと思う。
 
Posted by 山口 優 at 2004年02月11日 17:16
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