多くの場合、当初のコミュニケーションは、差し障りのない会話となる。
学校はどちらですか?
結婚されていますか?
出身はどちらですか?
専門はなんですか?
兄弟はいますか?
ただ、これらの話題からは会話が弾まないことが多い。なぜならばそこからの発展性がある場合が比較的少なく、そして共感出来るものではない答えが返ってくる場合が多いからである。人がコミュニケーションを図る際に、相手が何者であるかを探るというのは、非常に難しいことである。東京出身なのに、相手が東北出身ですといわれ、そして東北に関する情報を持たない場合は、「寒いですねぇ」くらいしか言える言葉はない。特に生まれ育った地方や国が違う場合にはそれは本当に顕著なのである。おなじ体験を共有しないもの同志が分かり合うことは非常に難しい。同じ体験を共有しないものは、なかなかお互いを認め合ってコミュニケーションを実現することは難しいという事実がある。。
例えば、貴方が外国から来た人にあって、何を聞くだろうか。好きな映画は?好きな音楽は?趣味は?家族は?お子さんは?様々なトライを繰り返し、そして会話の弾まない笑いを繰り返し、場を和ませるための最大限の努力をし、そして共通の話題を探る。
もし、同じ映画が好きだったり、おなじアーティストが好きであれば、かなりの共感を持ってその人と友達になることが出来るであろう。さらにいえば、車であったりバイクであったり、同じ趣味を共有する人に会えば、その特別な体験を共有していないと分かり合えないような話題を二者間で構築することによって、擬似的にではあるが、深く分かり合っている気になれるのである。
ただ、特に背景の全く違う人間とコミュニケーションするのはなかなか難しい。かなりの労力と忍耐が必要である。
もちろん、コミュニケーションには、別の形もあり、それの場合にはこのマッチングの問題は起こらない。
一方向のコミュニケーションであってもそれが十分興味を引けるものであれば、あたかもその場所で非常に楽しいことがあったかのごとく、その場に居合わせたものに感じさせることが出来る。笑なんらかの集会を想像してもらえればわかりやすいのかも知れないが、ムードメーカーとなる特定の人間が話題の中心を創り出し、出来るだけ多くの人間に対して情報を発信する場合である。
多くの場合それは、多くのインフォメーションを与える側からしてみればコミュニケーションではなくプレゼンテーションなのだが、しかしその人と人が集まった「場所」を成立させることには成功している。相手と自分のマッチングがはかれなくても、片方の持つ情報や経験など相手をinteractする要素が十分にあれば、あたかもコミュニケーションは成功したかのごとく相手方やその場全体に認知させることが出来る。
しかし、これはコミュニケーションではない。プレゼンテーションといったが、ある種のエンターティナーがその場所に笑いと幸せを持ち込むだけの場所でしかなく、そのエンターティナーの記憶には、その場所で行われた擬似的なコミュニケーションは残らないのである。プレゼンテーションしている側は、自分の情報を公開はしているが、しかし相手側から得られる情報は極端に少ない場合が多い。
やはり、コミュニケーションを成立させるためには共通の話題が必要である。
多分人と人が分かり合うためには二つの要素が必要なのだと私は思う。
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