2004年03月30日

灰皿とゴミ箱

ある日突如としてなくなったかけがえのない存在がある。
かなり仰々しい理由で、一瞬のうちに消えていった毎日の友がいる。


 私はタバコは吸わないので、一緒に過ごすことはないが、しかし友人と友にいるときは、その存在の消滅がかなりのインパクトを彼にもたらしていることを感じることが出来る。駅のホームでの彼のいらだちは、声に出さずとも表情で分かる。
 この前駅の売店でペットボトルを買って飲んだら、飲み終わったペットボトルを捨てるために、殻のペットボトルを持って街を徘徊する羽目になった。



健康21という方針の具体化のため、といつのまにか制定された健康増進法という法律によって灰皿は消えた。
デパートでも、鉄道でもいつのまにやら灰皿という物はほとんど消えてしまった。

第二節 受動喫煙の防止
第二十五条 学校、体育館、病院、劇場、観覧場、集会場、展示場、百貨店、事務所、官公庁施設、飲食店その他の多数の者が利用する施設を管理する者は、これらを利用する者について、受動喫煙(室内又はこれに準ずる環境において、他人のたばこの煙を吸わされることをいう。)を防止するために必要な措置を講ずるように努めなければならない。

http://www.ron.gr.jp/law/law/kenko_zo.htm

このわずか三行の部分だけが、喫煙に関する部分なのだが、わずかこれだけの文章で超魔術のように屋内禁煙施設が日本中に増えていってしまった。



鉄道事業者に荷物のチェック、乗客への注意喚起など、自主警備の強化を要請する。という18日の決定により、警察庁から国土交通省及び鉄道事業者に対する自主警備強化の要請が、具体的に以下の5っ通達された。
    ・ 自主警備体制の徹底
    ・ 連絡通報体制の再確認
    ・ 関係情報及び不審情報の通報
    ・ 関係施設の管理の徹底
    ・ ポスター、車内放送等による旅客への不審者(物)発見に係る協力要請
http://www.npa.go.jp/pressrelease/keibi2/keibi.htm


すると、私鉄のほぼ全てから、ごみ箱がなくなった。。。




無論分からなくもない。
 受動禁煙防止>分煙or禁煙>分煙はコストがかかる>灰皿もコストかかってる。>全面禁煙
 自主警備強化>ごみ箱の中身危険>いちいち見るのはコストがかかる。>ごみ処理はコストかかってる。>ごみ箱撤去

様々な箇所で、特にごみ箱については反響がある。結果として駅近くのコンビニと道のごみ箱はゴミだらけになっている。



喫煙家も同様である。千代田区の場合、タバコの自販機に併設された灰皿は、砂漠の中野オアシスのように、旅人達の憩いの場となっている。




法律という大義名分は、その大義名分の趣旨の方向性を実現するのにインセンティブのあるものにとっては非常に使いやすい。灰皿の廃止で果たしてどのくらいのコスト削減が出来るのか分からないが、かなりコストは下がるはずだ。無論ゴミ処理も同様で、毎日毎日各駅に何個もあるごみ箱のごみ処理をするのは、何十個も駅がある鉄道会社にしてみれば結構なコストだ。

そして、そのサービスを取りやめるコストは、ほぼゼロであったりする。


結果、多くの人間が一時的に痛烈な批判を浴びせ始める。しかし集団はいつの間にかその現実を事実として受け止める。それを普通のこと、自明のこと、常識であることと受け止め始める。
ネットを調べてみたら、興味深い引用があった。

 宗教団体オウム真理教によるいわゆる「地下鉄サリン事件」が起こってから、東京の営団地下鉄では爆発物などを仕掛けやすいとの理由からゴミ箱を駅構内から撤去してしまった。当時としてはかなり緊迫した状況にあり、またいつ毒物が仕掛けられるとも限らなかった。判断は正しかっただろう。
 しかし、事件から二年が経過しようとしている現在、まだゴミ箱は再び設置されていない。これは一体どういうことなのか。営団地下鉄では「オウム真理教の指名手配者全員が逮捕されるまでゴミ箱は撤去する」と前から言っていたが、かたくなにその方針を貫いているようだ。本当にその方針を大切にしているのなら、それはもうアタマが固いとしか言いようがない。今のオウムにそんな力があるとは誰も思わないだろう。(以下略)
http://www.kt.rim.or.jp/~sugasawa/hara/eidan.html


 この記事では、「ゴミ箱なしがすでに定着した」という異論が営団のなかにはある。という日経新聞の記事にふれ、施設側がごみ箱を設置するのはゴミが散乱するのを防ぐためであるから、利用者の認知として、「ごみ箱は駅になく、ゴミは駅の外まで持ち帰るものである。」という認知ができれば、設置するインセンティブはないので、別に設置しなくても何の不思議はないと述べている。
 国にとっても、禁煙を進めるインセンティブは大きい。なぜならば日々負担額が増えていく健康保険の支払い負担をできるかぎり低減したいし、道路や公共施設の運営に際しても、いちいち喫煙所に貴重なスペースを取られるよりは、そこを別の目的に利用したいのである。

呪文のように短い法律でサービスを取りやめるのは、それを提示する理由が多くの人間に合理的な形で納得してもらえるだろうし、また取りやめた方が利益になるからかも知れない。大義名分という物を利用して地下鉄のように年間のゴミ処理コストを大量に圧縮出来れば、民鉄も願ったりかなったりだろう。健康増進。という大義名分で禁煙者からのクレームがなくなり、喫煙者のための高価な設備や場所を設置する必要がなくなる商業・公共施設も同様である。屋内禁煙というルールがいつのまにか生じてくれば、それはねがったりかなったりなのである。

 社会的にマジョリティであるときは、それに対して対応することが求められる。誰もがタバコを吸うのであれば、そしてそれが認められているのであれば、社会はそれを自明のこととして認め、そしてそれに対する対応とサービスをするだろう。しかし、ひとたびそれは否定するべきであろうという流れになり始めれば、無論慈善事業ではないので、個々の主体は個々の主体のインセンティブの向かう方向に進む。すなわちごみ箱も喫煙所も、それを設置することにより得られるメリットよりも、それを撤去するメリットが高いのであるから、削除するのである。

いつのまにか、消えていくであろう存在に黙祷を捧げつつ、それに対して思う。
posted by Cotton at 01:35 | Comment(0) | TrackBack(1) | 政治と経済(Politics&Economy) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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何故、地下鉄の売店にはごみ箱がないのだろう
Excerpt: 昼一番でお客さんのところへ行かなきゃいけなくて、でも昼飯を食べる余裕がない時なんか、つい地下鉄の売店で「ビターインゼリー」や「カロリーメイト」の缶なんかを買ってしまう。でも困ったことに、電車の中で飲ん..
Weblog: ビールを飲みながら考えてみた…
Tracked: 2004-07-18 14:00
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