しかしさくらには、ほかの花とは違う何かがある。
誰もが春を心待ちにするのは、この芸術が織りなす優雅な一時を楽しみたいからでもあるだろう。
さくらを語るには言葉はいらない。それはさくらの構成する全ての要素が、私たちの奥深くにも秘められているからなのかもしれない。
さくらは、萎れていく姿を見せない。さくらは、花開くと同時に散り始める。
最も美しいときにこそ、さくらは表舞台から去り始め、静かに我々の足下で朽ち果てていく。
それは、ほかの花とは違う。さくらは生命の最高の瞬間に、その役割を突如終えるのである。
さくらは散り際が美しい。朽ち果てるその瞬間、その瞬間こそ、一枚一枚の花びらの最高の舞台でもある。
可憐に咲き誇った花びらは、朽ち果てるその瞬間、時にはただ一人の主役となって、旅立つのである。
美しさを失わぬうちに消えていく。消える瞬間燃え尽きるように、しかし悲哀をみせることなく、さくらは散っていく。
日本人の心に潜むこころ、それは確かにさくらの表現する芸術が内包する。
さくらはすべての終わりが訪れたとしても、緑の芸術を我々に遺していくのである。
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私にとってさくらは強く見えます。
上に伸び横に広がり、花をつけ、花弁を散らし、緑にかわる。
何者も邪魔できないように立っていて、見ているものは花が咲いていることを望んでいるのに潔く散り、葉桜にかわっていく。
そんなさくらの姿は凛々しく強く見えます。
ところでなぜ日本人は花見をするのでしょうか?
さくらが美しいから見る。美の前に理由は要らない、かもしれません。
さくらが日本人の心なのかもしれません。
でも以前、日本人が花見をするのには、桜を見なくてはならない理由があったからではないかっていう考えを聞いたことがあります。
雑談だったのでその見なくてはならない理由は覚えてないんですが…
そんなこと関係なくいまはきれいで花見で酒がうまい。
SFCのサーバー個人でMTが動かせるんだ・・・。
黒めがねさんのいわれるように、江戸時代から花見は一般化し、軍国主義な時代に日本の侍の象徴として祭り上げられたという歴史もあるようです。
確かに日本(特に東京)には異常なほど桜があります。それの多くの部分は人為的に植えられたものであることも確かなのでしょう。
絢爛豪華な桜の花の下で、友人知人家族と過ごす時間は、時には人心安定の道具とされ、ナショナリズム高揚のための慣習として御上から受け付けられた習慣であるという側面もあるでしょう。
しかし、歴史的な経緯や意味もありますが、今の我々にはあまり関係がないものです。誰も意識せずに春になると誰かが花見と言い出します。この慣習は、花見しなくてはいけなかった過去が創り出したものかも知れませんし、花見をするように奨励されていた過去が創り出したものかも知れません。
しかしながら、良くも悪くも歴史が創り出してきた不思議な習慣を我々は共有しているわけですから、それが幸せなで楽しい時間である限り、みんなでたのしもうじゃありませんか。なんて思うわけです。
>黒メガネさん
TBありがとうございました。
日本人には、昔から潔さというものへの
美意識というのものがあるような気がします。
それが、武士道精神に通じたりするのでしょうが・・・・
これがきっと、一ヶ月も咲き続ける花だったら
同じ花でも、こんなに競って、お花見をしたりはしないのでしょうね。