と誰かに問われても、実際忘れてしまっていることも多いだろう。 およそ人間というものは、どのような物事であっても忘れていく。あの瞬間自分にとって重きをなしたものは、いつのまにか日常に埋没している。あれだけの感動があろうとも、どれだけの感動があろうとも、消えていかないものなど無い。今の自分から時間的、空間的な距離が開けば開くほど、その物事のもたらした光は届かなくなる。どれだけ自分が心動かされた物事があろうとも、その出来事に終わりがあり、自分が時間の流れに生きている限り、いつしかその光は和らいだ光となっていく。
それは悲しむべき事ではない。むしろそれは必要なことなのである。消えていくという作業がなければ、人間は積もり行く感情や経験に押しつぶされてしまう。感極まる物事の記憶が、全て自分の中にそのままの鮮度で内包されるようなことがあれば、人は平穏な精神など保とうはずがない。自分が今まで経験してきたあらゆる感動がその時の感動のままで自分の中に内包されることなど出来ようがない。明日を生きるために我々は、過去というものを忘れていくのである。
忘れていくというのは、別に身近なことでも分かるだろう。「新しい車を買う」最初の二週間、靴を脱いで運転する人もいる。「新しいバイクを買う」最初の二週間、毎日洗車をする人もいる。別にそんな物事でなくても良い。「ブロードバンドが家に来た」その速度に感動するのは1週間位だろうか。別にそれが二年でも良いが、時は止まっているわけではない。その感動は薄れていくものなのである。
どんなに大きな喜びであっても、自分からの距離が遠くなれば、それは相対的に小さくなっていく。例え、甲子園で優勝した経験であっても、それが永遠にその人を喜びで満たすことはない。いやむしろ、それが永遠にその人を喜びで満たすのであれば、それはそれで悲しいのかもしれない。時間が過ぎていき、そして和らいでいってしまうその光に、すがりつくように感動を覚えるという行為は、私はあまり感心しない。
どのように大きな光が過去にあったとしても、その光の方向に進むその人は、自分の周りで流れていく時間という流れに逆行して、そしてその光にすがって暗闇を生きているのである。それはあまりにも悲しい。
一瞬の花火のような感動が、人生の中で洪水のように、訪れては消え、訪れては消えていく。
大きな花火も有れば、小さな花火もある。虹色の花火も有れば、淡い太陽のような花火もある。
その感動は憎しみかも知れないし、悲しみかも知れないが、しかし絶えず日々、小さな感動から大きな感動まで、我々は心動かされる中で終わりの時へと向かい歩いている。絶えず消え去りつつある感動の流れの中で、我々はその流れが行き着くまでの旅を続けている。
それは悲しむことではない。たとえ一瞬が消え去るものであったとしても、しかし人は消えないときの中に生きることが出来るのである。
絶えず感動を与え続けてくれる存在があるとき、人はその感動の中に生きることが出来る。
一瞬の美しさは、瞬く間に消え始めるが、しかしもしその一瞬が連続するのであれば、その感動は消えてはいかない。とても小さな花火の連続が、空気となっていく過去の時間の上に折り重なっていくのである。この限られた時間を楽しむ上で、消えていく数々の物事のその上に、また新たな記憶が積み重なっていく。その一つ一つが少しづつ感動を与え、その連続は何よりも勝る感動、ひいては幸せとなっていく。
日々過ぎゆく時間の中で、我々は様々なことを知り、体験し、そして忘れていく。
過去は積み重なり、次第に消えていく。しかしその上に、また新たな感動が積み重なっていく。
それこそが幸せである。
昔話も美しい、しかしそれは空気となるべきものである。
今という時間の中に生き、そしてその中での感動の連続に生きることが、人間の幸せであると思うのである。
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