傷跡だらけの町、そこにさらに傷跡が増えようとしている。
レバノンの首都ベイルート中心部で、イスラム教スンニ派主導の親欧米シニョーラ政権支持者と、シーア派原理主義政党ヒズボラ支持者の衝突が続いていると、CNNが報じている。 空港に至る道は閉鎖され、放送局は一時的にせよ占領され、群衆は透析を繰り返し、銃弾とロケット弾が町中を飛び交っているという。
とても終わった様には見えなかった争いは今も続いていた。ふらふらと旅行者として訪れたのは去年の10月。それから半年そこらで、私のみてきた不安定な町は、また負の側に傾き落ちようとしている。
「ベイルート経由、欧州行き」
海外旅行がまだ一般的ではなかった頃、欧州に日本から向かうには、ベイルート経由が一般的だった。(直通便は不可能だった。)そのため、欧州への玄関口であっったベイルートは一時は日本から羨望のまなざしを受けたものだった。
中東のパリといわれ、栄華を誇ったベイルートは、長い内戦と、隣国との争い、それに伴う大規模な難民流入によってその力を失ってしまった。
遠い昔から、背後に控える山脈と、地中海からもたされる海風により、(冬の日本海側と同様に)この地域は中東にもかかわらず、比較的豊かな森林と田園地帯が広がっている
海でつながっている向こう側との交易で中東の金融はここを中心に回っていた時代もあった。
しかしそれは過去の話。今そこに有るのは、ドバイ、アブダビなどとの競争に破れ、戦争に疲弊し、資源を持たない国として弱小化していく姿しか見えない。
旧市街が、悲しい現在を物語っている。戦争で破壊された旧市街全体を、まったく同じ様に再生し、建物だけをとれば当時の面影通り、中東のパリの名に恥じないように一見見える。
しかし、近づいてみると、真新しいコンクリートで作り直された「新」旧市街は、見るに耐えない。そこに会った歴史と、そこにいた人々はもうこの世にはない。建物は建て直すことは出来ても、そこにあった文化と、人々の営みは簡単には戻らない。
我々のすぐ隣で、いつ銃撃戦が起きるか、いつミサイルが飛んでくるかわからない状況におかれている人がたくさんいる。
ちっぽけな自分と、私の見渡している小さな世界を考えさせられる。
2008年05月08日
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