昨年はアイスランドの漁村にいた。一昨年はフランクフルトで花火を眺めていた。その前は本の翻訳と執筆をしていた。その前は、、もう覚えていない。人は忘れていく。今年はロンドンのホテルでロンドンアイを眺めていたが、それもいつか彼方に消え去っていくのだろう。
思えば長い道のりを来たものであった。この1年、特に後半は自分の人生を考える事が大変多かった。三月の中旬にドイツから帰国し、7月の中旬に退社。8月に披露宴。9月の下旬に渡英。そして最初の学期が嵐の様に過ぎていった。
先週、マスターキートン の漫画を読んだ(TO氏thanks!)。おそらく、いや、間違いなく、自分はこの主人公に大変なあこがれを持っていたと気付いた。最初に読んだのは小学生か中学生の時だろう。山梨の片田舎でヤサぐれていた自分は、自分には恐らく関係のないだろう生活を送る主人公に、自分を重ねようと必死になっていた。
彼は、オックスフォード大学の修士課程出身(恐らく博士は取っていない)で、英軍SASに所属していた経歴も持っている。彼は学者になるという夢を持ちながら、しかしそれに近付くでも無く大半の時間を世界中で発生する事件事故の調査に費やす。それはさながら、まさに自分が経験したコンサルティングプロジェクトのようなものだった。
彼は、最終的に学者の道をあきらめない。彼には壮大な仮説が、学会には受け入れられないであろうが、自分の信念とでも言える学術的な仮説があり、それを証明する考古学的発見をもたらすために、最終章において全てを捨ててドナウ川流域に自身を賭ける。
私は、正直分からなくなっている。自分には彼のような学術的な仮説がある訳ではない。勉強すればするほど、経営学の分野はかなりの分野に広がる学問大系を作り上げている事を知ることとなった。
自分が思い描いていたような話はとうの昔に議論にあがっており、今ここに存在するのは各論の作り込みであったり、新しく世の中に登場しつつある流れの説明を目的とする試みが中心の様に見える。私には、自分の残りの二十代全てを賭ける仮説が、無い。
もちろん、興味関心はある。研究は楽しい。単純に知るという事の喜びを感じている。未だに中小企業とその国際展開という物を中心とした議論は大変興味があるし、修士論文は楽しく取り組むことができるのは間違いない。ただ、その先は正直見えない。
家族の課題、自分の人生、金銭的な課題、学業面でのハードル、いくつか超えなければならない物が存在するが、それを自分は乗り越えることができるのだろうか。いや、乗り越えようとする気力があるのだろうか。乗り越える事が正しい判断なのだろうか。今、盲目的に信じ込んでいた仮説が、大いに揺らいでいる。
自分は、研究というフィールドにまったく足をつけないままに、8年もの時間を仕事に費やしてた。それは一重に、そこにチャンスがあり、それが刺激的であり、そこにいる自分が楽しかったからだ。自分はそれなりに基礎を固めてきた自負があるし、事業家としての次の成長パスを描く自信もある。
一方、自分は研究というフィールドにおいては全くの素人だ。似ているようでいて、コンサルティングと研究は大きく異なる。特に一流になろうとすればするほど、両者のギャップは広がっていく様に自分は感じている。100m走と1500m走ぐらいの違いはある。一方で世界レベルだからといって、もう片方でも時代を作れるとは限らない。
お金が使えない。人が使えないという状況での研究は、死ぬほど時間と労力がかかる。80%まで3ヶ月で作り込むのは自信がある。しかし、研究においては99%に高める作業で違いが生まれる。それは、さらに時間と労力がかかる作業であり、実際のビジネスにおいては存在しない作業である。
依然として、研究者という職業は大変魅力的である。自分の追い求める物を追求し続け、それを発表し、議論し、作り込み、人類の知識の柱に貢献する職業である。比較的自由な時間が持てる傾向にあり、また言っては何であるが、自分に取って安全な選択肢となりつつある。
もし自分が突き詰めたい物が見つかるのであれば、それを200%理解するために自分の人生を使い切るというのも、生き方としてはありえると本当に思う。研究者は自分の内面であったり、過去であったり、机の上での戦いを強いられる状況が多々あるが、しかし、それが成し遂げられうる可能性は、事業家に引けを取らないと今でも信じる。
しかし、今自分は、理性的な意思決定を行うべき場所に来ている。研究者としての人生、それが公平な土壌の上にあがってきた。それがこれまでのように夢や幻の中にある信仰のような存在ではなく、確たる姿を持った一つの選択肢として自分の前に現れてきた。多くの物事が見えている。単純な夢やあこがれを基に突き進んできた自分は、ついに意思決定をするのに足る情報を集め終わるに至った。今、自分の意思決定は、もっと地に足をつけた、本当に自分の人生を何に使いたいかという意思決定になっている。
今年は、もしかしたら、本当に自分の人生の節目になるだろう。これまで、猛進し続けてきたものに判断を下し、また、ゼロからの出発になるのかもしれない。いつもゼロから進める事ばかりしてきた自分だが、今度のゼロは、堅く重い。そして、どちらにむけて出発するかは、自分の人生を定義する大きな出発になる。
決意を込めてこの一年をスタートしたい。
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