2010年02月19日

避けられない経済的な階層の固定化と、我々、個々人が今すべき事


(例によって殴り書きなのでコメントお待ちしています)

 今、階層の固定化が確実に進んでおり、一度上に上がってしまえば落ちにくい世界が現実のものとなろうとしている。それが上に上がれる可能性を閉ざそうとしているわけではないが、しかし別の要素、途上国からの挑戦が、先進国においてこれから上に上がろうとする人々にとって大きな脅威となっている事も事実である。

 我々にはもう時間はない。もし貴方が現代の日本に生きており、資産を充分に持たないにもかかわらず、持てる者になりたいならば、できるだけ早期に充分な資産を積み上げる必要があるだろう。

 私は別に、貧乏人がお金持ちになれなくなる世界が来るとは言わない。ただ、一度お金持ちになれば下がらないと言う話である。そして国際競争の中で、上に上がるものに選ばれることが、今後100年で極端に難しくなるといっているだけである。



持てる者がさらに持ち続ける構造:

 持てる者が、次の世代においても持ち続けるという構造は、誰もが色々な角度から説明してきた。色々な論脈があるが、私の見立てでは現代において特に重要となっているのは以下の三点であると思われる。

1. 一定量を超えれば、資産を使う量よりも、それが自己増殖する量のほうが増える
2. 教育に投資可能な資金量、両親の能力等によって教育レベルが再生産される
3.一定水準レベルの人々をつなげる相互幇助的な「社交界」が存在する

 投資環境、金融市場、経済の発達した現代においては、度を過ぎたリスクに走らない限り、一定量を超える原資を大幅に失う可能性は低く、逆にそれを自己増殖させるに足る安定的な運用を行える可能性が高まっている。
 過去においては、資産を分散させリスクを低減させることが極めて難しかった。それは株式市場も未成熟であり、債券市場や、住宅市場へのアクセスが限定的であっただけではなく、他国の市場へのアクセスが困難であり、しかも高度なリスク回避アルゴリズムといった金融手法が少なくとも一般的ではなかったからである。
 しかし、今はそのようなことはない。不動産を1億円で5%で回し、株式1億円から2%の配当を得て、各国の国債計1億円から3%のリターンを得れれば、それだけで1000万円である。これが6億円なら2000万円。昔に比べれば、はるかにリスクをコントロールした上での運用が出来るようになっている。
 昔と違い、自分の資産を守るために金歯を入れたり、ロレックスを身につけたり、宝石を買い込んだり、金塊を庭に埋めたり、芸術作品を買いあさらなくてもいい。こういったものはお金を再生産しない資産であり、過去はリスクヘッジのためにそれらにすがらざるをえなかったが、今はお金を再生産する資産でも充分にリスクヘッジ出来るようになりつつあると思う。
 そして、富裕層にのみ公開されている特別な投資信託口座やプライベートアカウントにアクセス出来れば、マーケットの上下に関係なく、6−7%のリターンを継続的に得ることは、中長期的に見ればまったく不可能な話ではない。
 極端に言えば、富裕層がすることは、信頼できる有能なアドバイザリーを見つけ出し、彼らに微々たるお金を払い、後は時折彼らとコーヒーを飲みながら経済談義に華を咲かせることだけである。

 そして、個々人の教育レベルが大きく次の収入に直結する時代において、子供の両親、親類の知識レベルと、その子ども自身の大人になった時の能力レベルに大きな相関が見られることは、わざわざ私が繰り返す必要はない。
 特に、教育が重要になっている今の社会において、それに対して潤沢な投資が出来るという現実。かつ、彼らが余暇時間を費やして得た知識を日々の生活から子どもたちに与えられると言う事実が、子供らの可能性を広げていくのである。
 教育市場も発達し、情報も飛び交う現代では、良い師匠との出会いは、幸運だけではなく、お金に左右されるのも事実である。お金があればばるほど、良い講師に出会う可能性は高まり、良い講師に出会う可能性がたかければ、総じてその結果も多角なる可能性が高い。さらには、その両親目当てにその子供を優遇する東海岸の有名校は、如実に教育機関側のインセンティブを表している(例: http://www.kotosaka.com/article/106431449.html )
 お金と両親の意識。その二つの融合体がもたらす力も、今まで以上に高まっていることに疑問の余地はない。
 
 さらに、彼らのネットワークは部外者を好まない。一定水準以上の人々が集まる組織は、彼らのために存在し、彼らによって運営される。力有る者同士が友人として助け合えば、もちろんそれは世の中を動かしうる力となる。
 お金のあるものは世界を飛び交い、そしてお金の集まる場所に集まり、そして強いネットワークを作り出していく。技術と物流の進化は、物理的な制約を超えて強い者どうしを結びつけるようになり、これまで以上に大きな助けとなって存在しているのが事実であろう。


 このように、お金の力によりより良い教育にアクセスできる時代となり、数々の市場が効率的かつ比較的安定的にお金からお金を生み出すこと出来る現代において、今持つものがそれを元に再生産して行くことはかつて無く容易となった。ある閾値を超えれば、あとは増えるに任せるだけとなるのである。

 これは事実であり、現実であり、個人が変えれる構造ではない。個々人の自由な行動の帰結として起こる現状であり、その是正は極めて難しいし、それをする理由を見つけることも難しい。

 そしてさらに、以下に上げる二つの点、「持てる者が落ちない」という現実と、「持てる者になりにくい」という現実が存在することも忘れてはならない。



持てる者が落ちない社会:

 人類の歴史を見回したときに、現代が特に得意である理由の一つは全世界的な繋がりの密度が、これまでになく高まってきていると言う事実である。たしかに、大戦前に比べて多くの障壁が存在するという事実が有るにせよ、技術と物流の発達によって、人、物、金の移動がグローバルに行われるような状況となった。

 ある種のカタストロフィーが発生しない限りは、このトレンドは今後100年も続いていく。我々の子供、孫の代にかけて、持てる者が落ちない社会が現れて行くだろう。なぜなら、彼らが彼らの階級から落ちる理由、それがこの社会構造の変化によって起き難くなっているからである。

 具体的には、彼らが落ちる可能性は、歴史的に見て下記の四つの場合に高まる。

1. 体制が変わり制裁を受ける(e.g., 戦争に負ける。革命が起きる。)
2. 経済が破綻が破綻し資産価値が消える(e.g., ハイパーインフレ、株式崩壊)
3. 国の政策により資産が徴発される(e.g., 相続税、徳政令)
4. 自分の失敗により自分で破綻する(e.g., 無謀な投資、家業の倒産)

しかし、ここに挙げたいずれの状況も、過去に比べれば総じて可能性として起きにくくなっているのだ。

 戦争に負けると、多くの富裕層(実質的な支配者階級)は「戦争責任」を問われ、時に殺され、時にその権力とそれによって得ることの出来た資産が没収される。革命が起きると、それまで搾取により蓄えた資産は、人民のものとして、搾取されていたものにより強奪されるか、人民(=国)の物として剥奪される。さらには、思想体系がかわり真の共産主義を目指すために資産保有を禁止するような例も過去にはあった。フランスでも、日本でも、中国でも、ドイツでも、近年同じようなことが起きた。しかし、多国籍企業の思惑が複雑に絡み合い、一昔前よりはるかに経済構造、政治構造が複雑化した現代社会において、先進国においてこれらが発生するのはかなり難しいだろう。

 経済が破綻すれば、それにより持つものの大半を失うようなことも、金融制度、投資手段が未発達であった過去にはありえた。しかし、国と国がつながり、富裕層の大部分が多面的に分散投資を行い、さらに富裕層であればあるほど高度なスキルを持つ投資アドバイザリーサービスにアクセスできる現在では、これも想像し難い。数十億円以上のレベルで運用している彼らのリターンは2008年、2009年でもそれほど悪くはなかっただろう。それは全体としては超長期で運用されており、金融市場に直接短期的に影響を受けない資産も大量に保有しているケースが多いためだ。

 国の政策によって資産が摘発されるというケースも、一国がやろうと思えば出来ない政策ではないが、世界が富める者、そして才能ある者の獲得競争に突入している現在では、その効力は疑わしい。北朝鮮がやろうとしたが、失敗したくらいだろうか。稼げる者、持つ者は選択権の有る者たちであり、閾値を超えるような極端な政策を取ろうとすれば、彼らは簡単に他国(e.g., シンガポール)に消えて行くだろう。そして、彼らは持てるものであるが故に、世界最高水準の税制アドバイザリーにアクセスが出来ることも忘れてはならない。世界最高のスキルにアクセスし、数億円の報酬で動く彼らに、勝てるような網が貼れる税務署職員と財務官僚が必要になる。

 そして、自分が失敗して破綻と言うのも、一線を超えたレベルの階級ではかなり難しくなってきているのが現状ではないかと思う。少し昔は、先にも述べたが金融市場及びそれに派生するアドバイザリーが発達していなかったため、彼ら自身が投資活動を行い、時流に乗れなかったがために失敗することもあっただろう。博打のような賭けをする動きも見られた。ただ、エスタブリッシュメントになればなるほど、そういったことをするインセンティブは次第に少なくなる。そしてお金があればあるほど、強力な番頭を雇うことが可能となり、そして彼らは死ぬ気で高度な技術を用いて貴方の資産を守ってくれる。(無論、複数の番頭に分散管理させるのは当然だ)


 このように、一度上がってしまい、それを理性的にマネージしているかぎり、そこから落ちることはかなり考えづらい世界となりつつあるのが、現代と言う時代であると私は捉えている。一度見えにくくなった社会の階層が、次第にまた、明確に見える悲しい世の中になっていくかもしれない。


上がりにくい社会:

 さらに悪いニュースがある。現代社会は、過去に比べれば上に上がりやすくなったのは事実である。しかしその一方で、現実としては将来に向けて次第にまた上がりにくくなってきているのが事実なのである。特に、全世界的に見て恵まれている我々にとって、ここからさらに上がるのは極めて難しくなるだろう。

 前回、構造的に不可能に近い挑戦( http://www.kotosaka.com/article/136425908.html )の中でも述べたが、日本人は恵まれている層に存在していると言うことを忘れてはならない。そして、資産を持たず、フローで生活している日本国民は、「その正当化し難いほど高額な」フローが、発展途上国からの挑戦を受けていることに気付くべきなのである。

 日本国内において、お金持ちに比べて教育を受けにくいし、とか、言い訳を言っている場合ではない。資産があれば、それはその資産に見合った収入を継続的に与えてくれる。しかし、能力は、その能力が競合に劣っているのであれば、何ももたらしてはくれないことすらありえるのである。

 重要なので繰り返すが、10億円は1000億円のファンドの中でその一部としてリターンを得ることができるが、650万円の年収でインド人が350万円で出来る事しか出来ない職人(特に危険なのは現場作業員的なSE)は、余剰需要を吸収することしか出来ない。すなわち、長期的には首になる可能性すら高いのである(今はまだ様々な障壁がそれを防いでいるが、将来は分からない)。

 今後、日本に生まれた我々、私を含めて資産を今持たない層が今の生活水準を維持して行くためには、できるだけ早く、世界的な不均衡が存在する内に、フローを生み出し、それを資産に変え、持つ側に回らなければならない。

 今、持てる者が羨ましい。不公平だ。格差を是正だと叫んでいる人は、叫んでいる暇があったら自分の防御のために、そして子どもたちのために、少しでも蓄えることが個人の理性的な選択肢となる(それが日本経済に良いかは別として)。

 私が途上国の人間だったら君たちに向かってこう言うだろう。「不公平だ。日本人と同じような教育のチャンスを僕たちにも与えるべきだ」と。

 今の社会は、比較的上がりやすい。しかしそれは、過去と未来に比べればである。昔は自由がなかった。将来は下から我々の首を狙う人々との競争が待ち受けている。

 世界は、国際的に競争力の無い人々にとってはさらに上がりにくい社会となっている。国はもう守ってくれない。守ることが出来ない。自分自身で今行動するしか無い。自分と自分の子孫のために。


---

さて、我々が我々自身を守るために、今何をするべきか。もう一度繰り返させてもらう。

今、持つ者達へ:
リスクを分散し、スマートに資産を運用し、それが再生産する範囲でそれを使っていくこと。身の丈に合った生活をし、堅実に、着実に生きて行くこと。世界に視野を向け、貴方の政府が貴方(と貴方の資産)に辛くあたるのであれば、すぐにでも貴方を暖かく迎えてくれる国へ亡命出来るように準備しておくこと。

今、先進国において持たざる者へ:
タイムリミットは限られている。貴方の世代で貴方の子どもたちのために何かを残して欲しい。それは世界を生き抜ける知識でも才能でもいい。単純に将来に望みをつなげるだけの資産でもいい。時間は限られている。さもなくば、貴方達の子孫は競争にさらされる厳しい人生となる可能性が有る。

今、途上国において持たざる者へ:
おめでとう。チャンスが訪れようとしている。これまで理不尽に暴利を貪っていた先進国の怠惰な住民を駆逐する機会が訪れようとしている。差別にめげず学問に励み、技術を身につけ、彼らに挑戦するときがやってきた。才能を磨き、それを認めてくれる国に趣き、持てる者になるためにこれまで通り努力するだけでいい。

最後に、先進国において持たざる者を救おうとしている政府の関係者へ
状況は厳しい。持つものが無境に持たない者を救える時代は終わろうとする。今持たないものが国際的競争力を身につけて、彼ら自身が稼げるように仕向けなければならない。無理に保護しても無駄である。時間の先延ばしをセずに、持たざる者の努力を助長する政策を推し進めていく必要があるだろう。



言いたいことは山ほどあるが、、とりあえず、、、以上。。

posted by Cotton at 07:52 | Comment(4) | TrackBack(0) | 政治と経済(Politics&Economy) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。大変面白いと思ったので、初投稿してみます。

書かれてある内容は、逐一納得です。少なくとも、今の急速な情報と金融のグローバル化から、現在から近い将来は、その通りな気がします。

そう納得なのにも関わらず、「成長の外にいる」持てるものがさらに持ち続けるのって、そんなに簡単かなあ、という疑問がありました。

- 持てるものに同じ金利のリターンを与え続けるのは、大変。元金がどんどん膨れる中、例えばここ5年、地球は日本で郵政民営化して300兆円をやっとこさこじ開けたけど、その後リーマンショックは起こるわ、また郵政国有化に向かうわで振り出しに。おいしい投資先が限られる中、成長の外部からそこにアクセスし続けることが可能なのは、本当にごく一部の金持ち、上の上の人のみで、上の中の人は、ねずみ講のごとく市場を食い尽くして、上の下、中の上へと次第に脱落しちゃうのでは?

- 残った上の上の人は、その地位を維持するコストが馬鹿高くなるのでは。グローバル化の負の側面として、今まで頼ってた国が頼れなくなり、本稿で挙げてる1.-4.の防衛が自腹になるような気がします。貧富の差が拡大した際に、金持ちの教育費はますます高くなる、などの形でコスト高になる気がします。さらに、(サイバー含む)テロや、米国が作りまくろうとしてる原発のメルトダウン、など、今までリスクじゃなかったものがリスクになると、金持ちが保険&セキュリティーにかけるコスト、リスクが直撃しちゃう可能性は、高くなるのでは?

書いてみて、持たないものの妬みが入ってるかもしれない、と思いましたが、どうしても500年前のポルトガルを現代に持ってきて、500年勝ち続ける気がしなかったので、そのまま送っちゃいます。今後もどうぞ宜しくお願いします。
Posted by a_golden_bear at 2010年02月19日 12:41
 こんにちは。投稿ありがとうございます。Hassにいらっしゃるんですね。MBAにMckinseyの東京から来ているHT氏は私の同期です。よろしくお伝えください。

 さて、この話の論拠の一つ、ポルトガル時代と違うのは、成長の外と中という境界が曖昧になっているという点です。過去は国と言う境目が明確に存在していましたが、今はその境目の力は、少なくとも相対的に小さくなっていると思います。

 逆に、経済のつながりの力が大きく影響をもたらす世界になってきました。無論美味しい投資先は限られますが、しかし投資を呼び込みたいと思っている組織は大量に存在するのが事実だと思います。

 その上、外国投資信託やAlternative投資が大きく広がりをみせる中、私は成長の外部からそこにアクセスすることは中長期的に見ればこれまでになく容易になろうとしていると見ています(ポルトガル、スペイン、フランスの時代は他国の成長にアクセスなど容易なことではなかったと思います)。

 しかし、「ネズミ講のように市場を食い尽くして」という状況が発生する可能性は否定しません。長期トレンドからみればリーマンショックが起ころうが全世界は確実に成長を続けています。

 1800年からの全世界の経済成長をこちら( http://www.kotosaka.com/article/114178361.html )でインタラクティブに確認することが出来ますが、これまでの数千年の歴史と同じように人間がこれからも経済を超長期的に見て拡大出来る限り、脱落の可能性が無いとは言いませんが、リスク分散の方法論が多様化した今、その可能性が小さくなってきているのは事実だと考えます。


 二点目に関してですが、たしかに防衛が自腹になる可能性は有るとは思います。しかし、国はそのプレゼンスが低くなったとはいえ、未だに経済における特殊なプレイヤーの一つです。世界の大国は依然として大きな力を世界に及ぼしており、また国の境目は未だに大きな意味を持っています。

 その一方、新しい経済は才能と富を必要とする経済です。英国もアメリカもカナダも、かなりの国が一定レベル以上のおカネさえあれば比較的簡単に永住権を取得出来るシステムと整備しています。さらに、教育レベルが高いケースでも同様です。国はお金を持つ者、または才能を持つものを奪い合おうとしているのが今と言う世界だと思います。

 そう考えたとき、一方で1,4の防衛のコストが全体的に上がっているのは事実ですが、持つものだけに議論を限った場合、彼らは彼らの所属する国や組織を比較的自由に選べるがゆえに、より高いプロテクションを選択出来る可能性が高まっているとも言えないでしょうか。

 テロ、メルトダウン、誘拐等のリスクはたしかに存在しますが、しかし持てる者はそのリスクが少ない場所を選択する力を持っており、またそのリスクをハンドリングするだけの分散が出来るような気がします(メキシコではなくジュネーブに住むというように)。


 無論、キューバ危機のように全世界を巻き込むものすごい危機が起きるかもしれません。インドが間違って核ミサイルをパキスタンに発射すればものすごい危機です。

 世界はそうはいっても未だ不安定であり、私の論脈はえてして遠い先の話をしているので、今の現実に即せばまだまだ非現実性を帯びた議論です。

 ただ、世界の方向として、こちらのほうにむかっているのではないかなと考えている次第です。

 コメントありがとうございました!
Posted by cotton at 2010年02月19日 21:12
興味深いテーマ、ありがとうございます。
相変わらず貧乏暮らしをしている身にとって、
地中海でヨットの体験談も読ませていただいたのですが、
それはそれは優雅だなあと素直に感心もするのですが..
ところで、こちらのブログを拝見しますのも、実は今日がはじめてです。
勝手な話しで申し分けありませんが、
つい先日、散歩の途中に、ひとり思い出にふけっていたのですが、
ふと、こんな事を考えていました。
自分にとって「思い出深い夏休み」って、どんなのがあっただろうと、
そこで一番に思い浮かんだのが、中学の頃、仲間と少し遠出して
サイクリングに行った、特にどうって事もないような思い出です。
他にもっと刺激的な思い出も無かったわけでもないと思うのですが、
ふと心に甦ってくる事って、そんな他愛もない出来事だったりします。
なぜか、自分は持たざる者のひとりでじゅうぶんだという気がします。
Posted by K at 2010年08月27日 17:34

こんにちは。コメントありがとうございます。
優雅に見えるヨット生活もでもこんな出会いがありました。

「もう引退してヨットで暮らして六年になる。月10万円にもならない年金では私の母国のドイツではとても暮らしていけない。全財産をはたいて移り住んだ。このヨットだけが私の糧、これがなくなったら暮らしていけない」

なんて笑いながら教えてくれたおばあさん、お金がなくてもとても人生楽しんでいるようにお見受けしました。

究極、個人個人が楽しんでいけるかなので、食べていくことさえ出来れば、持たなくても問題はないのかも知れません。

ただ、社会の多くの人達は、持てる生活になれしたしんでしまっているので、なかなかKさんのような境地にいたらないのではないかなぁとも思ってしまいます。

いずれにせよ、個人としての自分がどうするかの問題に帰結すると私は感じています。


Posted by cotton at 2010年08月28日 08:46
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