歴史を知れば知るほど、またはそこにあった物語に思いを馳せれば馳せるほど、否定も正当化もできない悲しい現実の狭間に生きた、過去の人達の強さに感銘を受けることとなるし、またそれを引き継いで生きている自分たちが、誰かしらの思惑に流されること無く、自分自身の強さに基づいて生きることの重要性を感じる。
我々は幸福な時代に生きている。目に見えない搾取を受けることはあっても、眼に見えるような搾取を受けることが少なくなっている。例えば日本が財政破綻しようとも、余程のことがなければ日本が誰か特定の勢力に敵対的に破壊されたり、または一方的に陵辱されるような可能性は低いだろう。
しかし、その背後にあったのは、これを成し遂げてきた幾多に積み重ねられてきた歴史の流れであり、その流れに抗いきる事が出来得なかった一人一人の人生の犠牲であるのだと思う。日本が敗北した後、アジアは辛くも再植民地化のうねりを跳ね除けることが出来た(注1)。歴史に仮定は無用ともいうが、しかし不正義の流れを断ち切ろうと戦いを挑んだ者たちがいなければ、今どのような状況となっていたかは誰も解らないだろう。
無論、周辺各国が歴史に対する特定の見方を取っており、それを基準にして外交戦を展開している以上、選挙における直接便益があるにせよ、想定される外交上の衝突や困難を考えれば、特に過去の話に関してはうやむやにするのが功利主義的な判断として妥当かもしれない。
彼らの存在は既に無く、それらを忘れることは簡単にできる。しかも、それに対して敬意を払うことは、敬意を払っている自分達自身に陶酔することが出来る以上には、直接的な便益をもたらさないかも知れない。
しかしながら、私は右翼でも左翼でもなんでもないし、どちらかというと功利主義に基づきがちな人間だが、それでも国のために良かれと思って死んでいった、または死んでもいいと覚悟している人達に対して我々が敬意を払うのは、その便益を受けた、または受け得る国民の一人としても当然だと思う。
そして、国家の代表者においては、信念を持ち、正確な理解に基づき、的確なメッセージを示し続けて欲しいと思う。
(注1 日本の敗戦後に、旧宗主国(例 イギリス、フランス、オランダ)は再度各々の旧植民地に対して侵略戦争を行っている。しかしながら各地における民族運動の高まりなど様々な理由により結果として独立に至っている。

