2011年03月22日

日本国が前に進み始めるために:優れた指導者の不在を如何に解決するか

 

 今回をはじめ、昨今の日本で喧伝される指導者の不在は、構造的な問題であると私は考えている。我々が導入しようとしている、そして新しい時代に必要とされる素早い変革を可能とする組織を機能させるためには、まずはこの新しい組織構造に必要な指導者群を生み出せる、そして選び出せる枠組みづくりが必要とされると私は考える。



今解決しなければならないギャップは二つである。

 1)日本国の首相に選ばれるために必要な優秀さと、日本国の首相として結果を出すための優秀さの間にある大きな乖離。

 2)100年後の日本国の未来を見据えた日本国が目指すべき姿と、日本国の首相を選んでいる有効投票が目指している姿の大きな乖離。

 


 いわゆる伝統的な日本型の大組織は、ミドルマネージャー群が考え、集団的に判断する官僚型組織の一つの改良形と言える。このよな組織の最高指導者群に期待される役割は全体の調整者であり、矢面に立ちビジョンを示し全体の方向性に直接的な影響を及ぼそとすることは必ずしも期待されていない(例 東電の社長は会見に出ない)

 優れた指導者であれば、にもかかわらずその組織全体の方向性に良い影響を与える事ができるが、しかし凡能な指導者が下手にその持てる力を持ち組織に影響を及ぼそとすれば、それは全体に余計な負荷(例 いわゆる政治案件や突然現場視察への対応)をかけ、その全体成果に悪影響を与える。

 日本の強みであったその改良型官僚制機構(例 政府)には、不確実性の高い時代とい要請を受け、いわゆる欧米型の組織構造のコンセプトが導入されつつある(内閣府の拡充)。しかし、例えばその新しい組織構造に必要な強い指導者を育む土壌が不足している事が、その改変の負の側面を強調している。

 残念だが、小さな集団での政治抗争や小さな選挙区での人気取りに長けた人材が、500兆円近い経済規模を持つ国のガバナンスに指導力を発揮できる可能性は極めて小さい。その小さい可能性からも、しかし例外が生じてくれることを期待したいのだが、現状そうは上手くいっていないのである。

 高齢者の方々、建築産業の人々、国際的に競争力がないとされる農業の有効投票数(投票人口×投票率)が高い現状において、日本国の将来とは、何を指すのだろうか。無論、投票しない、議員に直接声をぶつけない人々の声は届かないのであるから、国の政策が近視眼的となり、特定産業の利便に振れていくのは致し方ない状況である。

 だからこそ、遠回りに見えて、そして難しそうに見える改革を、今権力を持つ者たちが、自分たちの便益を顧みずに行うことが求められる。それをなさなければ、日本国の100年後は無い。

 

 このような観点に立てば、短期的には事務次官会議などの官僚支配の機構をある程度は復活させることが最善であると考える。また、次世代を担える、長期的視座に立った意思決定の出来る優れた指導者を輩出し、そして彼らを選挙で選び出すためには、下記のような施策は意味が大きいと考える。

 地方分権、道州制を進めるべきである 。地方のことは地方議員と地方政府に任せ、国会が国レベルの意思決定に注力出来るようにするべきである。国会議員が地元の陳情から解放され、国レベルの政策意思決定に集中できるようにするべきである。 地方自治体レベルの裁量権を増やすことで、政治と生活との距離が近くなり、政治の意味が選挙民に見え易くなるだろう。そして第一に、将来国レベルの政治を担う人材の登竜門としての道州知事という地位が生まれると考える。

 また、参議院、または参議院選挙を廃止するべきである。政治に携わるものが近視眼的になる理由の一つが、あまりにも多すぎる国政選挙である。例えば、選挙を廃止し、道州知事や首相経験者、国家貢献者や国政在任期間の長い政治家等が在籍する英国の貴族院のような形態として、機能を法律の施行を遅らせる程度の権力、または政府へのアドバイザリー程度の意味に制限するべきであると考える。これにより、政治家が基にするべき選挙は衆議院選挙のみとなる。

 さらに、二大政党制を目指す党は、その党首選挙の制度を変更するべきである。政党を内輪の母屋と捉えず、政党を公器と捉えるべきである。そのためには、まず、党首選挙の日程を衆議院選挙の日程と重ねるべきである。これにより、また選挙の数を減らすことが出来る。さらに、有効投票の計測方法を改め、党員投票の重みを高め、国会議員の投票の重みを下げるべきである。これにより、小さな集団の政治にたける人間よりも、より多くの民衆の声に答えることが出来る人材が選ばれやすくなる(これを擬似首相公選制と言う人もいる)。

 そして、一票の格差を是正するべきである。違憲状態であるとの判決が出続ける参議院はもっての外であるが、小選挙区においても都市部の投票が低く計上されるのは許しがたい。都市部には競争力のある産業を代表する人口、そして長い将来に渡って日本に生きる若年層が生きており、ここの投票が上乗せされることは、無論国家の戦略の方向性が、競争力の高い産業にとって有利になり、また短期の便益よりも長期の便益に即した意思決定を行う方向になる。

 また、選挙権年齢を少なくとも18歳、可能であればブラジルやオーストリアのように16歳まで引き下げるべきである。選挙権年齢が20歳の国など、チェニジアや台湾以外に聞いたことがない(参考)16歳に政治が解るかという議論があると思うが、私は16歳から選挙を意識して学習することが重要であると思うし、少しでも国全体が将来を担う人材のための政治をすることが望ましいと考えるため、引き下げに賛成である。さらには、0歳児からの子供にも選挙権を与え、それをしかるべきタイミングまでその親に対して信託するような仕組みも海外ではあると聞く。親が、子供の為を思って、子供の為に投票するという仕組みは、これも投票行動を未来指向にするという観点で機能すると私は考える。

 同時に、インターネットを通じた選挙活動や、政治家としての活動の情報公開をさらに積極的に推進するべきである。極論を言えば、Yahoo みんなの政治のような枠組みへの政治家の参加を強制とすることを考えてもいい。現在ほとんど機能していないが、彼らが一体何をしているのかに関してのもっと透明に、分かりやすく、有権者が理解できる枠組みが求められる。Twitterなどによる情報公開や、議員マニュフェストなどの配布をしてもいい。選挙カーで街を回るような形式は、私は21世紀には相応しくないと考える。

 無論、今高齢の方であろうと、競争力のない産業に生きる方々であろうと、日本国が自分たちの主張の先に崩壊するのを望むとはとても思えない。政治家が、政府が、メディアが、繰り返し日本の現状の問題点を論理的に議論するべきである。世代間格差や、収支のギャップ、必要とされる構造改革について正直な議論をする必要がある。年金制度が持たないことは火を見るより明らかであり、日本の財政の見通しがあまりにも暗いことは猿にでも解ることである。誰かが責任を取り、持たない可能性があるという事実を正直に打ち明ければ、日本の多くの人は理解してくれると本当に思う。

 そして、究極の手段としては、選挙自体に金銭的インセンティブを与えてもいいかもしれない。オーストラリア、スイス、ベルギー、ルクセンブルグなどは義務投票制と採用しているという(参考)例えば、選挙に投票すれば所得税や住民税の還付を受けられるようにするのはどうだろうか。これにより既存の制度を利用することで違反者に対応できる。また、棄権票投票を受け付けることにより、憲法上の権利も侵害しないと考える。これにより、投票率の高い特定セグメント(産業団体、宗教団体)の影響を適切なレベルにまで落とすことが出来る。政治に無関心な層に少なくとも関心の機会を与えることが出来るだろう。


 今回も詳らかにされつつある欧米型リーダーの不在は、変化の多い現代において、日本国民の多くに危機的意識を持って迎えられている。この問題を、現在のリーダーの問題として処理するのは簡単であるが、しかしそれでは問題は解決しない。それを産み出してしまう。選んでしまう。その構造自体を変革していかなければ、我々は前に進むことはできない。 

 過去五年間で、安倍氏、福田氏、麻生氏、鳩山氏、菅氏と五人の首相をころころと変えてきたのは、他でもない日本国民たる我々である。毎回高い期待値により新しい人間を選んでは、毎回絶望の淵に陥れられる繰り返しに、我々は何かも学ばないのだろうか。今回の騒動を契機に、我々はまたしても首相を変えるというのだろうか?

 例え、今また首相を変えたとしても、私には日本国という世界有数の巨大国家の変革を担えるような政治家が後続として就任するとはとても思えない。自民党の若手で誰か有望な人間はいるのだろうか?安倍氏も官房長官時代は高い人気を誇っていた。枝野さんがいかに優秀であろうとも、日本国の首相が務まるような充分な経験と実績を積むことができてきているだろうか。

 

繰り返すが、今解決しなければならないギャップは二つである。

 1)日本国の首相に選ばれるために必要な優秀さと、日本国の首相として結果を出すための優秀さの間にある大きな乖離。

 2)100年後の日本国の未来を見据えた日本国が目指すべき姿と、日本国の首相を選んでいる有効投票が目指している姿の大きな乖離。

 

 このギャップを解決しなければ、いつまでたっても日本は前に進めない。そのために、議論の土壌として、あえてポジションを取っていくつかの選択肢を並べてみた。単なる思いつきの列挙であるから、痛烈な批判をお待ちしている。

 東日本大震災の悲しみを知るにつれ、日に日に日本に最も必要なのは、リーダーを選ぶための日本の構造そのものを変える必要性であると痛感している。

 無論、変えるからには、リスクもある。しかし、万難を考慮してでも、次世代のリーダーを育み、そして正しく選べる仕組みを導入していくべきだと切に思う。


日本の将来のために。。。




posted by Cotton at 05:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 政治と経済(Politics&Economy) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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